12歳で単身イギリスへ渡り、現地で映画制作を学んだ木村太一監督。長く海外に身を置きながら映画を作ってきた木村が、自身の母の人生をモデルに手がけた「FUJIKO」が、いま世界各地の映画祭で評価を集めている。

「FUJIKO」のメガホンを取った木村太一監督(photo: Tina Qin)

同作はイタリア、ドイツの映画祭で最高賞を受賞し、ニューヨーク・アジアン映画祭(NYAFF)でも最優秀作品賞に輝いた。世界で確かな評価を得た木村監督が、その先に見据えるのは、幼い頃から夢見てきたハリウッドだ。海外で作品を作り続けてきた理由、「日本人」であることへの距離感、そしてアメリカで映画を作っていく夢について話を聞いた。

賞賛相次ぐ「FUJIKO」とは?

「FUJIKO」は、1977年の静岡を舞台に、理不尽な仕打ちや社会の価値観に抗いながら、シングルマザーとして娘を育てる富士子の波乱に満ちた人生を描いた作品。主演は片山友希、企画・プロデュースは、近年目まぐるしい活躍を見せるMEGUMIが務めた。

NYAFFでのトークセッションの様子(photo: Tina Qin)

映画祭閉幕後、本作は全8作品の中から、NYAFFの最優秀作品賞「Uncaged Award」に選出された。「Uncaged Award」とは映画表現の可能性を切り拓く作品や新たな才能を称える賞で、審査員からは映像やアニメーション、音楽を含む独創的な表現、そして社会の期待に抗いながら生きる日本女性を温かく描いた点が高く評価された。

国境を越えたのは「心の貧しさ」

ニューヨークに先駆け、イタリアのウディネ・ファーイースト映画祭で最高賞を含む2冠、ドイツのニッポン・コネクション映画祭でも最高賞を受賞した同作。木村自身、日本より海外からの反応が「1.5倍くらい大きい」と感じているという。

12歳からイギリスを拠点に生活している木村監督(photo: Olivia Tan)

海外で伝わる作品にするため、英語タイトルをシンプルにする他、編集のテンポやブラックジョーク、ウィットも意識した。一方で、富士子が置かれた境遇を必要以上に強調することは避けた。

「“貧乏自慢をしない方がいいな”と思っていました。日本の貧困より、もっと厳しい環境は世界中にある。だから境遇そのものではなく、“心の貧しさ”という部分を共通させなければいけないと思ったんです」

作品上映後に行われた質疑応答では、来場者からさまざまな質問が寄せられた(photo: Olivia Tan)

国や経済状況が異なっても、孤独や息苦しさ、自分の人生を諦めそうになる気持ちは共有できる。実際に海外では、シングルマザーや母子家庭で育った人たちから共感の声が届いたといい、また、海外の観客からは意外な反応もあったという。

「子どものちょっとしたセリフや仕草にも、すごく笑ってくれるんです。日本のお客さんも優しいですけど、海外はさらに優しい。それは素晴らしいことだなと思いました」

「日本人だから」は気にしない

12歳で単身イギリスへ渡り、現地で映画制作を学んだ木村。日本を題材にする際、自分は当事者なのか、それとも外から日本を見る観察者なのか。そう尋ねると、返ってきたのは実に潔い答えだった。

「そこは全く気にしていなくて、自分が思ったことを描く、ただそれだけ。自分が日本人だからこそ背負わなきゃいけない“日本人らしさ”みたいなものは、全然ないです」

木村監督とプロデューサーのMEGUMIが、同作の企画について話し始めたのは約4年前のこと(photo: Olivia Tan)

日本らしさを意識して外へ届けるのではなく、まず自分が撮りたいものを撮る。周囲の評価や国籍に縛られず、自分の表現を貫く姿勢は、主人公・富士子の生き方とも重なり、そんな彼女について木村は、「頑固な人」と表現する。

「プライドが高い人って、行動するとめちゃめちゃいい個性になる。でも、大抵は考えるだけで足を動かさない。富士子は行動する側だった。社会や家族に背を向けられても、自分を信じ続けて、さらに行動する。それを描きたかったんです」

情報やデータから答えを得られる時代だからこそ、自分で動き、自分の目で見て、耳で聞き、答えを出す。その思いを、木村は富士子という女性像に重ねた。

小学生の頃から“ハリウッドに行く”と

長編デビュー作「AFTERGLOWS」(2023年)では、自身の嫉妬や妬みといった「悪いものを全部出し切った」と振り返る。その後、自分の原点に戻るために選んだのが、母と家族を描く「FUJIKO」だった。

「FUJIKO」のビジュアルポスターは、海外展開を意識し、あえて英語のみの表記にしたという

「これで転けてキャリアが終わったとしても、人間として誇れると思ったからやった。この作品を作ったことで、やっと元に戻れた。“ここから自分らしくできるんだ”という感じです」

その覚悟から生まれた作品は海を越え、ニューヨークでも最優秀作品賞に輝いた。しかし木村が目指すのは、家族を描く小さな物語だけではない。

「これからは、でかい映画をとにかく作っていきたい。日本人はどうしてもカンヌを目指すけど、僕は『ロッキー』や『ジュラシック・パーク』が好きだった。小学生の頃から“ハリウッドに行く”って書いていました」

今後、海外での映画制作に力を入れていきたいという木村監督(photo: Olivia Tan)

ハリウッドを拠点に継続して活躍する日本人監督は、まだ多くない。その理由を尋ねると、木村は「言語だと思います」と一言。英語を話すということは、単に言葉を操ることではない。その国の歴史や文化、社会的背景まで理解し、その中でコミュニケーションを取ることでもある。

決して簡単な道ではないが、それでも「でかい映画を作っていきたい」という思いは揺るがない。「FUJIKO」で世界から確かな反応を得た今、幼い頃から抱いてきた「ハリウッドに行く」という夢は、少しずつ現実になろうとしている。

取材・文/ナガタミユ