2025年8月2日 NEWS DAILY CONTENTS

鉄板焼きチェーンのBenihana × 獺祭が語る「挑戦と再起」、世界で愛される日本ブランドの条件

獺祭BLUEが主催するトーク&テイスティングイベント DASSAI SAKE SERIES「Benihana & Beyond」にて

アメリカを中心に展開する鉄板焼きチェーン「Benihana」の元CEOで、創業者・ロッキー青木氏の遺志を継ぐ青木恵子さんと、日本酒「獺祭」を手がける旭酒造の桜井博志会長が、先日ニューヨークのジャパンソサエティで対談を行った。

獺祭BLUEが主催するトーク&テイスティングイベント DASSAI SAKE SERIES「Benihana & Beyond」にて

桜井会長は「今日はBenihanaのすべてを聞きに来ました」と語り、世界的ブランドの舞台裏に迫った。同レストランのパフォーマンスや品質を支える仕組み、そして両社に共通する、世界で成功するための秘訣が明かされた。

◆ 型破りのパフォーマンスで人気者に

1964年、ロッキー青木氏がニューヨークで創業したBenihanaは、鉄板焼きを「見せる食事」として演出し、アメリカで大きな注目を集めた。

シェフが目の前で調理を行い、火を上げたりエビを飛ばしたりするスタイルは当時としては斬新で、食事にエンターテインメント性という新たな価値を加えた。Benihanaが築いた “オープンキッチン×劇場型の食空間” は今では広く普及しているが、60年以上前には非常に革新的な試みだった。

青木さんは「当時の日本では静かに食べるのが常識だった中、Benihanaは頭にご飯を乗せるようなことまでしていた」と振り返り、「さらに、すべてがマニュアル化されていたんです」と続け、もう一つの成功要因である、レストランというサービス業における徹底した “マニュアル化” について触れた。料理やサービス、接客トークに至るまで、全国展開を前提に細部まで仕組み化されていたという。

「Where are you from? と聞かれたら、I’m from kitchen と答えるように決められていた」と語ると、桜井会長だけでなく会場からもどよめきが起こった。こうしたマニュアル化により、どの店舗でも “Benihanaらしさ” が保たれ、顧客体験の再現性が高まったのだ。

この話を受けて、桜井会長は深く頷きながら「日本の酒蔵や旅館では、当時や職人が現場を支配しすぎて経営とズレてしまうことが多い。Benihanaのように、仕組みで現場を動かしているのは素晴らしい」と称賛した。

◆ 「挑戦すれば失敗は避けられない」

だが、同レストランも獺祭も、順調に成長してきたわけではない。青木さんによれば、創業者ロッキー氏はラーメン事業などさまざまな業態に挑戦したが、最終的に続いたのが同レストランだった。プロモーション活動も派手だったが、その中でロッキー氏はボートレース中に事故に遭い、24カ所を骨折。生存率5%とされる重傷を負ったという。それでも回復後、「また同じように挑戦したい」と語った。

桜井会長も「失敗は山ほどしてきました」と述べ、ある大きな経営ミスについて語った。日本酒は冬場に集中して製造するため、夏の杜氏の稼働に課題を感じた桜井会長は、「夏に仕事がないならビールを造ればいい」と考え、地ビールとレストランを組み合わせた新事業を始めた。しかし結果は芳しくなく、年間売上が100万ドル近かった酒蔵の売り上げを、たった一つのレストラン事業でほぼ失ってしまう。

社員の離脱も相次ぎ、「もう無理だ」と諦めかけたが、残った若手社員とともに酒造りをゼロから再出発。その過程で杜氏に依存しない製造体制を築き、「純米大吟醸」に特化した戦略へと舵を切った。これが、現在の獺祭につながっている。

対談中、笑顔を見せる桜井博志会長(左)と青木恵子さん(右)

桜井会長は「自分は成功の最中に次の成功をつくれたことがない」と語りつつも、今もなお新たな挑戦を続けており、今年は月面での日本酒造りという、地球を飛び出した大掛かりなプロジェクトにも挑戦する。「最近では海を越えて世界に行くのかという話だけではなくて、 成層圏をを越えて宇宙に行くのか、なんてことも言われたりしてますよ」過去のインタビューでは、こんなことも話していた。

◆ なぜニューヨークで挑戦を?

そして、対談は「なぜアメリカ・ニューヨークだったのか」というテーマへ移り、青木さんは「ニューヨークは世界のメディアが集まる場所。ここで評価されれば、自然と広がる」と語る。2023年にニューヨークに新拠点を設けた桜井会長も、「世界経済の中心は、やはりこの場所だと思う」と同意する。

Benihanaと獺祭、両者に共通していたのは、「信じた道を、諦めずに続けたこと」だった。最初から正解だったわけでも、すぐに成功したわけでもない。数々の失敗や迷走を経て軌道修正を重ね、試行錯誤の末に今がある。「挑戦すれば失敗は避けられない。でも、やめなければ次のチャンスは必ずある」桜井会長の言葉が、その本質を物語っている。

取材・文・写真/ナガタミユ

                       
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