ルース・アサワと建築家の夫アルバート・ラニアーには6人の子ども(うち2人は養子)がいた。ロサンゼルス近くの農家で6人の兄弟姉妹と共に育ったルースは、大きな家族を持ちたいと望んでいた。養子に迎えたのは2人のハーフの子どもで、彼らが人種差別に直面することを理解した上で、あえて家族に迎え入れた。芸術家になることを決心した女性は、結婚や出産を諦めざるを得ないと思うことが多いがアサワは全く違う道を選んだ。

農家で育った子供たちは、家事や農作業を手伝うのが当然で、ルースの仕事は薪で風呂を沸かしたり、針金(ワイヤー)で野菜の木箱を修理することだった。土の上に足で絵を描いていたという。そうした幼少期の活動が彼女の表現の土台となり、芸術家へと成長する基盤を作った。1943年、アーカンソー州ローワー収容所(日本人収容所)から11か月後に釈放された。ミルウォーキー州立師範学校に進学したが、第二次世界大戦後は日系人の教育実習生を受け入れてくれる学校がなく、教員資格を取得できなかった(1980年に大学卒業を認知された)。その後、前衛的な教育で知られるブラック・マウンテン・カレッジに進学し、ジョセフ・アルバース、バックミンスター・フラー、マース・カニンガムらに学んだ。ここでの3年間が彼女の芸術家としての方向性を決定づけた。ブラック・マウンテン・カレッジでは革新的な教育者に囲まれながらも、素材は乏しく、手に入るもので工夫して制作する術を学んだ。それはすでに彼女が幼少期から身につけていたことでもあった。
アサワにとって、作品の制作も、料理や家庭菜園など家族の世話も、すべて同じ延長線上にあった。制作に集中する彼女が子供達に囲まれた写真がある。子供達が制作中の母親の注意を引くには手伝うしかなかった。これが教える機会となり、学習体験となった。子供達が学校に通い始めると、クラスの図画・工作活動に関わった。
彼女は、自ら改良した「ベイカーズ・クレイ(小麦粘土)」をよく使用した。レシピはruthasawa.comに掲載されている:小麦粉4カップ、塩1カップ、水1カップ半(6〜8人分)。詳細な手順は実践経験に基づくもので、市販の「プレイドウ(Playdough)」のように、アメリカの幼児教育に欠かせない教材である。台所で焼ける経済的で無害な素材だが、欠点も明示されている。耐水性がなく、自立する彫刻には適さず、生地に厚みがあると乾燥と焼成に時間がかかりすぎるため、厚さは1〜1.5インチまでにすべきとされている。
ユニオン・スクエア近くのグランド・ハイアット・ホテルに設置されている《サンフランシスコ噴水》(1970〜73年)は、ベーカーズ・クレイを用いた驚異的かつ見事な作品である。41個のパーツからなるブロンズ鋳造作品は総重量5トンに及び、噴水を取り囲むように配置され、両側に階段がある。サンフランシスコの風景がぎっしりと詰め込まれていて、3歳から90歳までの250人以上(家族や友人、そのうち200人は小学生)が制作に参加した。初めて作品を見たとき、あまりにも細部が多すぎて目が追いつかなかった。私は、SFMoCA の展示ケースにあったハイアット・ユニオン・スクエアの冊子のページから、この作品の詳細を地図化した写真を撮っておいてよかったと思った。ランドマークは都市の地理的配置に従って並んでいた。
地図には番号が振ってあり、噴水の写真の番号と合わせて街を辿ることができる。噴水の右側には、46ノースビーチ、51テレグラフ・ヒル、57パレス・オブ・ファイン・アーツ(上部)、細部の写真の一つには、34シティホール(途中で切れている)とサンフランシスコ市郡の印章、31フィルモア地区、35ジャパンタウンが見られる。もう一つの細部写真には、20中央郵便局・裁判所の建物があり、その少し上左には、17アイコ・レイニアの結婚式がある。そこには花嫁と花婿を飾るケーキ、そして空き缶を結びつけたブライダル・カーがある。
さらに見ていくと、ユーモアに満ちた場面が現れる。アサワの子供達が通ったアルバラド小学校(小さな学校だが目立つようにある)、ゴールデンゲート・パークで日光浴をする裸のヒッピー二人(地域のカウンターカルチャーを象徴する表現)、そして市のゴミ捨て場まで登場する。作品を依頼したハイアットのオーナーは、噴水が巨大なクッキーのように見えるのではないかと心配したが、アサワは「そう見せたいのです」と答えた。オーナー自身も電話をしている姿で作品に登場している。
1973年のバレンタイン・デーに公開されたこの作品には、アサワの温かさと寛容の精神が込められている。パブリックアートとは本来そうあるべきなのだ。



参考:San Francisco Chronicle「Ruth Asawa’s Union Square Fountain is a S.F. Treasure Hunt. Here are its secrets」2025年8月21日
文/中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。
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