連載252 山田順の「週刊:未来地図」  長生きはいいことなのか?(上)  センテナリアン(百寿者)の報道と現実のギャップ

 猛暑が去り、秋の声が聞こえてくるようになった。今年も9月になれば、敬老の日がやってくる。(編集部注:本コラムの初出は8月27日)
 そこで、毎年、思うのだが、長生きは本当に幸せなのだろうか? メディアは、常に長生きを礼賛する。
 とくに敬老の日になると、きまって「センテナリアン」(centenarian: 百寿者)が大々的に紹介される。そして、「長生きの秘訣」という特集がどこのメディアでも組まれる。
 しかし、それはごく一部の健康で長生きをした人たちの話であり、長生きをしている人がみな健康であるわけがない。今回は、「長生き」について考察してみた。

百寿者は、今年は7万人突破が確実

 毎年、敬老の日を前に厚生労働省から「100歳以上の高齢者」(センテナリアン=百寿者)についての発表がある。昨年の発表では、センテナリアンは6万9785人で、そのうち女性が6万1454人と、88%を占めていた。
 そのなかで、国内最高齢は福岡市の田中カ子(かね)さんで115歳、男性の最高齢は北海道足寄町の野中正造さんで113歳だった。はたして、今年はどうなるのだろうか? 
 間違いなく言えそうなのは、今年はセンテナリアンが7万人を突破するということだろう。これはすごいことで、人口比でこれほどセンテナリアンが多い国はない。日本は世界一の「センテナリアン大国」なのである。
 100歳以上の高齢者人口は、国が表彰制度を始めた1963年はたった153人だった。それが毎年増え続け、48年連続で過去最高を更新している。次が、その数の主な年度ごとの推移だ。

   <100歳以上の人口>
1963年(昭和38年)…………….153人
1981年(昭和56年)………….1,072人
1998年(平成10年)…………10,158人
2012年(平成24年)…………51,376人
2018年(平成30年)…………69,785人

1981年に初めて1000人を突破し、以後、毎年、増加ペースが上がり、1998年以降になると、増加ペースは毎年2000~4000人となった。今年も4000人近い増加は間違いないので、7万人を超えることになる。

日本だけが国民の休日にしている「敬老の日」

 日本は、高齢者を敬う国である。
これは、中国の儒教などが、老いを人間の成熟として、肯定的に捉えてきた影響と思われる。
 「論語」の有名な言葉に、「われ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)をこえず」とある。
 その意味は、「50歳になってやっと自分の使命を自覚できた。60歳になって初めて人の言葉を素直に聞くことができ、たとえ自分と違う意見であっても反発しなくなった。そうして、70歳になると自分の思うままに振舞っても道を踏み外さないようになった」ということ。
 つまり、人は若い頃は未熟で、年老いて人間として“完成”する。よって、年寄りは世の悟りを知った人間として尊敬しなければならない。これが、孔子の教えであり、日本人の昔からの考え方だ。
 それが、具現したのが、「国民の休日」(ナショナルホリデー)としての敬老の日である。昔は9月15日だったが、2003年からは9月の第3月曜日になった。
 調べてみると、アメリカにも9月の第2日曜日に「National Grandparents’ Day」(祖父母の日)という日があるが、敬老という趣旨の日はない。英国にもない。中国には敬老の考えはあるが、そのための休日はない。
 日本のように、敬老の日をもうけて、それを国民の休日にしている国は、世界にはないようなのだ。

敬老の日のお祝いを廃止する自治体

 現在、「人生100年時代」といわれ、平均寿命は男女ともに80歳を超えている。高齢者とは65歳以上の人をいうが、そのなかには元気で若々しい人がいっぱいいる。現役を続けて、働いている人も多い。
 とくに、日本は世界最速で高齢社会が進んでいるから、65歳を超えたぐらいでは「高齢者=老人」とは、とても思えなくなった。後期高齢者となる75歳以上でも、老人というと怒る人は多い。
 それで思うのが、ここまで時代が変わったのに、昔と同じように「敬老」を続けていっていいものなのか? 100歳を超えるというセンテナリアンは特別としても、75歳を超えたぐらいで「長生きしておめでとう」と、祝っていいものなのか? ということだ。
 敬老の日の行事といえば、高齢者に自治体などから贈られる「敬老お祝い金」や「記念品」がある。これが、ここ10数年で次々に廃止されるようになった。
 たとえば神戸市は、1972年度から高齢者に敬老祝い金を贈っていたが、2016年度から制度そのものを廃止した。
 創設当初は77歳(喜寿)以上全員に支給していたが、対象者が増えるとともに見直しを重ね、近年は88歳(米寿)に1万円、100歳に3万円を贈っていた。それを廃止してしまった。
 その背景には、高齢者の増加による財政支出の増大があった。自治体財政はどこも赤字で、神戸市も例外ではない。そのため、計約6800人への支給総額が7500万円に達し、これ以上は負担できないとなったのである。
 国も同じである。国では2015年まで、センテナリアンに純銀製の銀杯を贈呈していた。しかし、2014年にセンテナリアンが約2万9000人を超え、財政負担が約2億3000万円となったので、純銀製を止めて銀メッキ製に変更した。これにより、銀杯の単価は、これまでの半分の3800円になった。
(つづく)


【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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