2026年3月6日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第71回 ミーラー・ナーイル(Mira Nair)(1)

国際的に高く評価される先駆的な映画・ドキュメンタリーの監督、ニューヨーク市長ゾーハン・マムダニの母親

 ミーラー・ナーイルの作品は、男性中心の映画業界において数々の最高栄誉を受けてきた。1988年には、インド映画として史上2本目となるアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、91年には、カンヌ映画祭でインド映画として初めてカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞。英国アカデミー賞(BAFTA賞)の非英語作品賞にも2度ノミネートされた。さらに2001年には、ヴェネツィア国際映画祭の最高賞である金獅子賞を女性として初めて受賞した。

Mira Nair
(Photo:Bollywood Hungama   wikimedia 
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mira_Nair.jpg)

 ナーイルは1957年、インド北東部オリッサ州の田園地方に生まれた。父はインドの行政官僚、母はソーシャルワーカー。ナーイルは、1947年にインドがイギリスから独立した後の理想的な時代に育った。英語で教育を行う「イングリッシュ・ミディアム・スクール」タラ・ホールのロレト修道院キリスト教女子校に進学し、在学中は英文学と演劇に関心を持った。15歳のとき、路上で社会問題を題材にした寸劇を行うレパートリー劇団で演じていた。地元に一つしかなかった映画館で上映されていた数少ない映画の中には、1965年作『ドクトル・ジバゴ』やジョン・ウェイン主演の映画があった。その後デリー大学ミランダ・ハウス(女子大)に進学し、社会学を専攻した。

 在学中ロンドンのケンブリッジ大学に全額奨学金付きで合格したが、イギリスが約200年にわたりインドを植民地支配していたことを理由に辞退した。その代わりに映画『ラブ・ストーリー』で見た大学が自分に奨学金を出せるほど裕福に違いないと思い出願したところ、写真のポートフォリオが評価され、全額奨学金を得てハーバード大学視覚・環境学科に受け入れられた。写真入門クラスの担任教授、ミッチ・エプスタインは最初の夫となる。ハーバード大学でグローバル・シネマと撮影技術を学び、そこで初めて本格的に映画に触れた。イタリア映画『アルジェの戦い』(1966年作。フランス植民地支配に対するアルジェリアの闘争を描いた作品)は「政治から高揚感あふれる詩を生み出すことができるのだと強く心を打たれた」(A Rabbit’s Foot, 2026年1月6日)と彼女は語っていて、映画が自己表現の媒体になり得ることを悟った。卒業制作である『Jama Street Masjid Journal』は、デリーの大モスク周辺の旧市街における街頭生活を題材にした作品だった。彼女は1979年に卒業した。

 ナーイルはドキュメンタリー作品において社会的発言を表明している。手持ちカメラを用いる「シネマ・ヴェリテ(フランス語で『真実の映画』の意)」と呼ばれる手法を開拓したリチャード・リーコックの講座をMITで受けた。この手法は、できる限り客観的に真実を描こうとするドキュメンタリー・リアリズムの様式であり、フィルターを介さず現実を提示しようとするもので、1970年代のフェミニスト系ドキュメンタリー作家たちが採り入れ、ナーイルもその影響を受けた。

 1982年の『So Far From India』は、ニューヨーク市の地下鉄売店で働くインド人移民アショクが、アーメダバードへ帰郷し、自身の文化とアメリカでの新しい生活に向き合う姿を描いている。84〜85年の『Indian Cabaret』では、ボンベイ(ムンバイ)のキャバレーでストリップダンサーとして働く女性たちを撮影し、インド社会における「尊敬されるもの」と「不道徳とされるもの」の偽善を探っている。ナーイルは、クライテリオンの視聴可能なインタビューの中で、被写体と友情関係を築くことで、彼女たち・彼らの置かれた状況について真の洞察を得たと語っている。『So Far From India』では、ニューヨークでアショクを撮影した後、彼と共にインドへ渡り、家族の様子も撮影した。『Indian Cabaret』では、二人の女性の信頼を得て、撮影をしながら二週間彼女たちと共に生活した。そのキャバレーに通う男性の一人の自宅にも招かれ、彼の妻との対話も撮影している。これらの短編ドキュメンタリーはニューヨークの映画祭で評価された。フェミニストとして、彼女は特に社会的に周縁化された女性たちに焦点をあて社会正義を訴えている自らのエリート意識を誇示することなく、彼女のドキュメンタリーにはナレーションもなく、物語に明確な結末があるのかどうかも含め、観客に解釈が委ねられている。

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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