2025年9月30日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第66回 レッド・グルームス『ラッカス・マンハッタン より抜粋』展 (1)

ブルックリン美術館(2025年11月2日まで)

展覧会のタイトル『Red Grooms, Mimi Gross, and The Ruckus Construction Co.、 Excerpts from Ruckus Manhattan(レッド・グルームス、ミミ・グロスとラッカス建設会社:ラッカス・マンハッタンより)』は、1976年にマールボロ画廊で発表された伝説的インスタレーションと同名で、共同制作に敬意を表している。グルームスは「音楽家やダンサーが共同制作するように、美術家も同じように共作できる」と語っている。展覧会冒頭の紹介パネルには、21人の共同制作者の名前が記されている。

展覧会案内板

レッド・グルームス(本名チャールズ・ロジャース・グルームス)は1937年にテネシー州ナッシュビルに生まれた。短期間シカゴ美術館付属美術学校に通い、1956年にニューヨークへ移り、マンハッタンのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチに入学した。同校は1919年、第一次世界大戦に伴う検閲や官僚主義的高等教育に抗議してコロンビア大学を辞職した教授たちによって設立された。1933年には「亡命者の大学(University in Exile)」を大学院として開設し、ナチス政権下で迫害されたユダヤ系をはじめ多くの知識人を迎い入れた。入学資格はなく、学位取得を目的としない成人教育に重点が置かれていた。(正式に認可大学となったのは1960年。1970年にはパーソンズ美術大学がニュー・スクールの傘下に入った。)

1957年夏、グルームスはマサチューセッツ州プロヴィンスタウンのハンス・ホフマン美術学校に通った。当時ここは多くの美術家が集まる夏の避暑地だった。ドイツ生まれのハンス・ホフマン(1880-1966)はヨーロッパ前衛芸術で活躍後、1932年に渡米。ニューヨーク抽象表現主義に先駆ける重要な画家・教育者であった。この非学位の独立美術学校には、俳優ロバート・デ・ニーロの父、マリソル・エスコバル、フランツ・クライン、マーク・ロスコら多くの芸術家が通っていた。

グルームスの愛称「レッド」は、ホフマンに師事しながらレストランの皿洗いをしていた当時、プロヴィンスタウンのギャラリーオーナーが彼の赤毛に因んで付けられた。同じ夏、彼は彫刻家ハイム・グロス(1902-1991、ハンガリー系ユダヤ人でオーストリアを経て1921年に米国移住)の娘、ミミと出会った。グルームスとグロスは1964〜76年まで結婚していて、「シカゴ市(1967-68)」や「ラッカス・マンハッタン(1975-76)」などの注目すべき共同作品を制作した。

独立系映画館フィルム・フォーラムのディレクターを50年間務めたカレン・クーパーは「ラッカス(大騒動の)マンハッタン」を「ニューヨークの荒々しい華やかさと混沌の美を祝うもの」と評している。当初の計画ではクロイスターズまでマンハッタンを再現する予定だったが、時間と資金が不足した。それでも「ラッカス・マンハッタン」は、不況当時の都市をユーモアたっぷりに表現し、有名な場所から猥雑で退廃的な場末まで、象徴的な風景を大胆に解釈した大規模な展示だった。

レッド・グルームスらが描いた風刺的な景観は、長いヨーロッパの伝統に根ざしている。彼はイギリスの画家・版画家・風刺家・漫画家・作家ウィリアム・ホガース(1697-1764)と比較されている。ホガースは写実的な肖像画から『娼婦一代記』『放蕩者一代記』といった風刺連作で知られている。フランスの画家・彫刻家・版画家オノレ・ドーミエ(1808-1879)は、新聞や雑誌で風刺画を描いて生計を立て、王政から聖職者、軍、ブルジョワジーまで権力者を風刺したリベラルな労働者階級の芸術家であった。

アメリカではマーク・トウェイン(1835-1910)がユーモアと社会風刺に富んだ作品で知られる。さらに、マルクス兄弟の白黒映画は、19世紀フランス発祥の演芸形式ヴォードヴィルに由来するドタバタ劇で上流社会やファシズムを風刺した。グルームス世代には、1952年創刊の『MAD』誌、1970〜1998年の『ナショナル・ランプーン』誌、そして自伝的コミック『アメリカン・スプレンダー』で知られるアンダーグラウンド漫画家ハーヴィー・ピーカー(1939-2010)がいた。この作品は2003年に映画化され、グラフィックノベルの概念を変えた初期の例とされている。また、ロバート・クラム(1943年生)は風刺的アンダーグラウンド漫画『フリッツ・ザ・キャット』で知られ、擬人化動物が暮らす「スーパーシティ」を舞台にしたこの作品は、X指定を受けた初の長編アニメ映画となった。

アトリウム入口
フェリー内部を覗く
スタテンアイランド、セント・ジョージ・ターミナルに停泊準備

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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