百年都市ニューヨーク 第6回 創業1916年 ネイサンズ(下)

 前回は、1987年、創業者ハンドワーカー家が投資会社に身売りして株式が店頭公開されたところまで書いた。親子2代でコニーアイランドに築いた老舗ホットドッグ店だが、スピード重視、合理化全盛の80年代にあって、ニューヨークだけではとても採算が取れなかった。頼みの遊園地も老朽化して人が来ない。フランチャイズ方式で全米に店舗を増やしブランド名を売っていく。それしか生き延びる道はなかった。売却と機を同じくして、ネイサンズの歴史に前代未聞の異変が起こる。

86年、早食い大会最初の日本人が登場

 ネイサンズ不変の伝統といえば「独立記念日の早食いコンテスト」である。そもそもは、創業間もない1916年の7月4日に起きた店先での論争に端を発する。4人の男たちが「誰が一番、愛国心が強いか?」で言い争いになり、ならば「ホットドッグの早食い競争で決着をつけよう」となったのが起源だそうだ。だが戦前の記録が残っているわけでもなく、これは限りなく都市伝説に近い。ただし、41年と71年に政治的な理由で休止になった以外、この実にばかばかしくも米国らしいイベントが100年以上途切れることなく続いているのはホントの話である。
 86年、その伝統の大会に果敢にも挑戦した日本人がいた。名前は富永弘明。筆者が当時所属していた制作会社が作ったテレビ番組の取材でのことだ。巨漢の富永が2月のニューヨークに乗り込み、前年チャンピオンのオスカー・ロドリゲスを呼び出し、1対1の日米決戦という趣向。いわば「番外編」なのだが、結果はなんと10分間で10.5本を食べ切った富永の勝利。「日本人がアメリカ人チャンピオンを破ったというのでニューヨークタイムズをはじめ地元の新聞やテレビが大きく報じ、とんでもない話題になったんですよ」とは、当時、番組を演出した先輩ディレクターAの談。今ではほとんど誰も知らない「史実」だ。まだ世界レベルでは無名だった「早食い大会」への日本人参戦は、真珠湾攻撃の奇襲のようなもの。経営面で陰りが生じていたネイサンズに明るい刺激を与えたことは間違いない。

コニーアイランドの象徴、ネイサンズ

コニーアイランドの象徴、ネイサンズ

早食い大会でブランドバリュー上がる

 その後、日本のテレビでの大食いブームも追い風になって、96年からは日本人選手が3連勝。そして、2001年にはフードファイター小林尊が、それまでの記録の2倍に当たる「10分間で50本」を食べて競技の常識を塗り替えた。大会は全世界から注目を集め、「コビー(小林の愛称)VS米国人挑戦者」という日米逆転の対決構図が6年も続く。米テレビのスポーツ局でも毎年放送され高視聴率を獲得。この国ではれっきとしたスポーツのジャンルとして早食いが確立した。おかげでネイサンズのブランドバリューは一気に上がり、2001年には24軒の自社店舗に加えて全米で380のフランチャイズ店舗を展開。海外17カ国に進出するまでに成長する。
メディアやイベントを上手に利用して知名度をアップする。この考え方は、100年間ずっと変わっていない。創業者ネイサン・ハンドワーカーからして、単なる働き者の職人以上にアイデアマンだった。白衣のにせ医者にホットドッグを食べさせて客寄せしたり、芸能人や政治家からの賛辞を効果的に利用したりといった戦略がなかったら、ホットドッグのような誰でもまねできるシンプルな商品1つで、100年も生き延びることはなかっただろう。

「ポーランドのホットドッグとは違うけどおいしい。アメリカのソーセージが好き」と話すポーランドからの観光客

「ポーランドのホットドッグとは違うけどおいしい。アメリカのソーセージが好き」と話すポーランドからの観光客

ポピュラリティに与る

 ネイサンは、何よりも値上げを嫌った。新メニュー導入にも反対した。薄利多売をよしとし、遊園地のおやつ的な立ち位置を譲らなかった。「ポピュラリティ(人気)に与る」それがネイサンズ商法の根幹である。そう考えると、遊園地が衰退してコニーアイランドの老舗だけではやっていけなくなったころに、日本の早食いと出会い、テレビを通じた全米的人気を回復したのも頷ける。
 創業101年目の今年、ネイサンズはメジャーリーグ球場の公式ホットドッグに認定された。人気のある場所、人の集まるところにネイサンズあり、というわけだ。(了)

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Nathan’s Famous
正式社名はNathan’s Famous。1916年ニューヨーク市ブルックリン区コニーアイランドで創業。100年間、同じ味、同じ名前で人気を誇り、全米50州と海外10カ国で5300店舗以上を展開する。通算販売本数は5億超。1987年、ニューヨーク証券取引所上場。米独立記念日(7月4日)に開催される「ホットドッグ早食いコンテスト」は今年で101回を迎えた。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。