アメリカの第2波フェミニズムを象徴するジャーナリスト、グロリア・スタイネムさんが9月2日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去した。92歳。死因は公表されていない。3日、ニューヨークタイムズなどが伝えた。

1934年、オハイオ州トレド生まれ。10歳で両親が離婚すると、精神疾患を抱え薬物依存にも苦しむ母と暮らし、買い物や食事作りなどを7年間担った。現在でいう「ヤングケアラー」だったこの経験は、結婚や子育てを女性に当然の役割として課す社会への疑問や、人を支える活動への原点となった。
1956年、女子大学の名門、スミス大学を優等で卒業。その後、奨学金を得てインドで学んだ。60年からニューヨークで記者として活動。女性が政治記事を任されにくい時代、63年にはプレイボーイ・クラブで「バニー」として潜入取材し、女性従業員が受ける搾取を告発した。69年、違法な中絶の体験を語る女性たちの集会を取材したことを機に、自身の中絶経験も公にし、女性解放運動に深く関わった。
71年、女性の政界進出を促す全米女性政治連盟(NWPC)と、各地の女性活動家を支援する女性行動同盟(WAA)の設立に参加。同年創刊した「Ms.」誌では、中絶、家庭内暴力、職場の差別、同一労働同一賃金など、従来の女性誌が避けてきた問題を正面から扱った。初の独立号30万部は8日間で完売。同誌は運動の理念と行動を結ぶ拠点となった。さらに、レイプ被害者支援センターやDV避難施設の設立を後押しし、多数の女性支援団体を立ち上げた。
「私たちが始めた頃、セクハラという言葉すらなかった。ただ『人生』と呼ばれていた」というスタイネムさんの発言は、日常として見過ごされていたセクハラ被害に名前を与えた。また、年齢による女性差別に対しては「これが40歳の姿よ」と切り返し、出産についても、選べるからこそ素晴らしいのであり、全ての女性に強制すればそれは選択ではないと訴えた。
晩年まで執筆と講演を続け、男女の賃金格差や中絶の権利後退に「猛烈に腹が立つ。同じ問題がまだ残っている」と語った。
「この年齢になると『バトンを渡すつもりなのか』と聞かれる」と、スタイネムさんは著書「Outrageous Acts and Everyday Rebellions(プレイボーイ・クラブ潜入記 : 新・生きかた論)」の中で次のように書いている。
「バトンは手放さないわ、どうもありがとう。そのバトンを使って、他の人たちのバトンに火を灯しているの」
















