7月中旬、SNSを突如騒がせたのは、とあるブロードウェイミュージカルの突然の終演だった。「ありえない」「ブロードウェイの危機」「恥じるべきだ」。まるで著名人の訃報が流れたかのような衝撃とともに、名作「Cats(キャッツ)」のリバイバル版「CATS: The Jellicle Ball」の閉幕までのカウントダウンが始まった。

8月8日に最終公演を迎えるブロードウェイミュージカル「CATS: The Jellicle Ball」(photo: Matthew Murphy and Evan Zimmerman for MurphyMade)

なぜ幕を閉じることになったのか。新たなブロードウェイ像として注目された同作の魅力を、現在のブロードウェイ業界の現状とともに振り返る。

猫の着ぐるみもメイクもないキャッツ

「CATS: The Jellicle Ball」は、かつてロングラン公演が行われた最高峰のミュージカルの一つ「Cats」のリバイバル作品。登場キャラクターの猫を”人間”に置き換え、彼らが生きる世界を、かつてニューヨークで孤立するLGBTQ+コミュニティやアーティストたちの居場所となった「ボールルームカルチャー」へと再構築した。

舞台上にはジャッジ席も設けられ、本物のボールルームイベントさながらの臨場感が漂う(photo: Matthew Murphy and Evan Zimmerman for MurphyMade)

「Cats」が持つ楽曲やストーリーラインの美しさはそのままに、ボールルームの世界観を映し出した演出や、スパンコールやフェザーを用いたファッションショーのような華やかな衣装デザインを採用。さらに、従来のバレエを基礎とした振り付けを、ヴォーグやスピン、フロアワークなどを取り入れたボールルームスタイルへと大胆に刷新した。

また、DJブースを中心としたクラブカルチャーの音楽演出を取り入れ、劇場全体をボールルーム会場さながらの空間へと一変させるなど、”猫の着ぐるみもメイクもない「Cats」”という大胆な再構築で、ブロードウェイに新たな歴史を刻んだ。

スキンブルシャンクス(鉄道猫)。同作ではニューヨークの地下鉄で使われているメトロカードを小道具に使用(photo: Matthew Murphy and Evan Zimmerman for MurphyMade)

そしてキャストも、いわゆる”バランスの取れた”ブロードウェイパフォーマーだけでなく、ボールルームシーンで活躍してきたパフォーマーやLGBTQ+のパフォーマーらを対等に起用。当時のカルチャーを目の前で体感しているかのようなキャスティングも、本作の大きな魅力だった。

SNSが普及し、指先一つであらゆる情報を得られる一方で、コミュニティーや人とのつながりが希薄になりつつある現代。本作は、エンターテインメントの力で人々を結び付け、劇場そのものを「コミュニティー=自分自身を表現できる場所」へと昇華させたという点でも、極めて稀有な作品だった。作品への評価も一貫して高く、ニューヨークタイムズをはじめとする主要メディアからも絶賛された。

「近年で稀に見る名作だった」

そんな中、突然最終公演が発表されたのは7月13日。「FINAL PERFORMANCE(最後の公演)」という投稿がインスタグラムに掲載されたのは、延長公演が発表されてからわずか46日後。さらに、演劇界最高の栄誉であるトニー賞で9部門にノミネートされ、3部門を受賞した直後でもあった。

振り付けはボールルームシーンで活躍してきた、オマリ・ワイルズとアルトゥーロ・ライオンズが担当(photo: Matthew Murphy and Evan Zimmerman for MurphyMade)

“まばゆい成功”と称され、順風満帆と思われた矢先の終演。その背景には、厳しい資金繰りの現実があった。トニー賞を受賞し、満席が続いても、制作費の回収は決して容易ではないブロードウェイ。同作も制作費約1800万ドルに加え、週の運営費は100万ドルを超えるとも報じられており、高い評価だけでは存続できない厳しい現実があった。

そんな現実の犠牲となった同作だが、この決定に対し、ブロードウェイ関係者や観客からは悲しみや怒りの声が相次いだ。

「近年でまれに見る名作だった」「ひどく悲しんでいる」「ブロードウェイは終わったのか?」「キャストやこのショーに関わった全ての人のことを思うと胸が痛む」「親戚が亡くなったときより泣いている」「ブロードウェイはこのショーを必要としている」

圧巻のダンスシーンは最大の見どころ(photo: Matthew Murphy and Evan Zimmerman for MurphyMade)

SNSにはさまざまな思いがあふれ、ブロードウェイの巨匠であり、「Cats」作曲を手掛けたアンドリュー・ロイド・ウェバー氏も声明を発表した。

「私にとってブロードウェイは特別な場所であり、今、目の前で起きていることに深く心を痛めています。偉大な演出家ハル・プリンスが私に最後に語った言葉の一つは、『ブロードウェイがこんな姿になってしまったのを見るのは本当につらい』というものでした。ハルは、真に斬新で大胆な作品がブロードウェイで生まれることは、ほとんど不可能になってしまったと考えていました。そして残念ながら、彼の言葉は現実となってしまったようです」

また現在のブロードウェイについて、「現状では、どんな新作でもブロードウェイで上演することは経済的にほとんど意味がなく、多くの人が自らが制作に携わった作品の成功を正当に享受するのではなく、固定の週給で生活している。そんな状況で、次の世代はどうやって演劇界で生計を立てていけるのでしょうか? 若いクリエイターは善意だけで生きていくことはできません」と危機感を表明。制作費の高騰によって、新たな才能が育ちにくい現状への懸念を示した。

同作が上演されているBroadhurst Theatre(photo: 本紙)

さらに、「ブロードウェイは単なる通りや建物の集まりではありません。それは一つの理念であり、その理念はいま深刻な危機に瀕しています」と訴えた上で、「劇場オーナー、労働組合、プロデューサーなど、業界に関わる全ての人が力を合わせなければなりません。手遅れになる前に行動してほしい」と、業界全体へ協力を呼びかけた。

また一つ、ブロードウェイの幕が閉じる

同作の終演は、単なる一作品の”終了”を意味するものではない。制作費の高騰や興行の厳しさなど、ブロードウェイが長年抱えてきた課題を浮き彫りにするとともに、新たな作品が生まれ、育っていく土壌そのものへの”危機感”を突き付ける出来事となった。

オールドデュトロノミー(長老猫)は、同作ではボールルームコミュニティーを取りまとめるマザーのような存在として描かれている(photo: Matthew Murphy and Evan Zimmerman for MurphyMade)

最終公演は8月8日。残席はわずかとなっているものの、現時点ではまだチケットを購入することができる。終演後には、ニューヨーク公共図書館のブロードウェイ作品の公式アーカイブに収蔵され、ブロードウェイ史を伝える貴重な映像資料として保存される予定だ。

いつか映像で語り継がれることはあっても、この熱気を劇場で体感できるのは、あとわずか。現代によみがえったボールルームカルチャーと、新たな「Cats」が生んだ奇跡を目撃できる時間も、残り少なくなっている。

取材・文/ナガタミユ

CATS: The Jellicle Ball

公式Webサイト
https://catsthejellicleball.com/