安野モヨコの漫画「鼻下長紳士回顧録」を原作とするオフ・ブロードウェイミュージカル「MEMOIRS OF AMOROUS GENTLEMEN」が、10月15日にニューヨークで正式開幕した。日本の漫画を原作に、脚本・音楽・演出を英語オリジナルで作り上げる史上初の試み。構想から約6年を経て、安野作品ならではの美しさと毒をまとった世界が、ついに舞台へと姿を変えた。

「MEMOIRS OF AMOROUS GENTLEMEN」劇中シーンより(photo: Andy Henderson)

その魅力は、約90分の公演だけにとどまらない。会場となる「The Night Egg at the Culture Club」では、原画展や作品をイメージしたカクテル、豪華絢爛な舞台美術など、劇場に足を踏み入れた瞬間から物語の世界を楽しめる仕掛けが随所に用意されている。

今回は、作品が舞台になるまでの軌跡や観劇前に知っておきたい物語の見どころとともに、ニューヨークならではの特別な劇場体験を紹介する。

安野モヨコの世界が舞台に

原作の「鼻下長紳士回顧録」は、2013年から18年まで女性向け漫画誌「FEEL YOUNG」で連載され、20年には文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した安野の代表作の一つ。

「The Night Egg at the Culture Club」内の原画展(photo: Nina Westervelt)

舞台は20世紀初頭のパリ。つつましい娼館「ナイト・エッグ」で働く若き女性コレットは、そこを訪れる風変わりな客たちの幻想や告白、秘めた悲しみを書き留めていく。言葉を紡ぐ中で、「見られる対象」から「観察する者」へと変わり、自らの力に目覚めていく一方、幼なじみのレオンへの破壊的な執着からは逃れられない。

レオン役を演じるコリー・ジェイコマ(photo: Andy Henderson)

華やかで退廃的な世界に渦巻く欲望、愛、孤独、そして人間の滑稽さ。安野作品ならではの美しさと毒が、音楽とダンスをまとい、ニューヨークの舞台に立ち上がる。

この大胆な舞台化を率いるのは、演出・振付を手がけるロブ・アシュフォード。トニー賞、オリヴィエ賞、エミー賞に輝き、2020年に原作と出合ったことからプロジェクトが動き始めた。

演出と振り付けを担当するロブ・アシュフォード(photo: Nina Westervelt)

音楽・作詞を手がけたのは、「春のめざめ」でトニー賞とグラミー賞を受賞したダンカン・シーク。「アメリカン・サイコ」などでも知られ、ロックやポップスの感性を舞台音楽へと昇華させてきた彼が、安野作品の退廃的で妖艶な世界に新たな音を吹き込んだ。

しかし、プレビュー開幕を目前に控えた9月17日、シークは56歳で死去。本作は結果として、シークが手がけた最後の新作ミュージカルとなった。彼が残した14曲の音楽が、今も劇場に響いている。

ダンカン・シーク(1969年〜2026年、享年56)

さらに舞台美術にはトニー賞3度受賞のスコット・パスク、衣装デザインには同賞8度受賞のキャサリン・ズーバーが参加。脚本を担うのは、鎌倉生まれ、ケンタッキー州育ちの日系劇作家リア・ナナコ・ウィンクラーだ。

主人公コレットには、「ビートルジュース」のオリジナルキャストとして注目を集めたソフィア・アン・カルーソを起用。ブロードウェイの第一線を走ってきた才能が、一つの日本漫画のために集結。

主演を務めるソフィア・アン・カルーソ(photo: Andy Henderson)

また、作品をニューヨークへ運んだ中心人物の一人が、プロデューサーの黒川裕介 / TEAM RAYMANだ。製作にはエグゼクティブ・プロデューサーの松倉信行、山田信之介、アソシエート・プロデューサーの安藤優、古矢美花、大谷亮平、Yumiら日本人も参加。

プロデューサーの黒川裕介 / TEAM RAYMANとトニー・マリオン(photo: Nina Westervelt)

2023年の台本読み合わせ、25年のワークショップを経て、約6年をかけて今回の公演を実現させた。今回のオフ・ブロードウェイ公演を足がかりに、将来的にはブロードウェイ進出を目指しており、日本で生まれた漫画を世界の舞台へ届ける挑戦は、今も続いている。

観劇前に知っておきたい物語の楽しみ方

本作の主人公コレットは、娼館「ナイト・エッグ」で働く若い女性。客や仲間たちの話をよく観察し、機転を利かせる一方、幼なじみの恋人レオンには弱く、周囲が心配するほど危うい関係を続けている。

激しく揺れ動く恋愛模様(photo: Andy Henderson)

そんな彼女の人生を変えるきっかけとなるのが、日本から来た作家志望の青年サカエだ。彼が渡した一冊のノートをきっかけに、コレットは客や仲間たちの出来事、そして自分自身の思いを書き始める。

サカエ役を演じるマーク・デラクルーズ(photo: Andy Henderson)

物語には、自分の価値をよく知る高級娼婦ナナや、個性的な魅力を放つカルメン、さまざまな性的嗜好や欲望を抱えて娼館を訪れる一癖も二癖もある客たち、そして娼館を取り仕切るマダムなど、多彩な人物が登場する。

それぞれが異なる欲望や秘密を抱え、愛と執着が入り混じる複雑な関係を繰り広げる。華やかな舞台の裏にある、一人一人の欲望や選択に注目したい。

ロブ・アシュフォードが振り付けを手がけるダンスナンバーも見どころの一つ(photo: Andy Henderson)

そこで、英語での観劇をより楽しむために、覚えておきたい言葉が三つある。

Desire(デザイア)
欲望、願い

「こうしたい」「こうなりたい」と強く望む気持ち。性的な欲望だけでなく、愛されたい、豊かになりたいという願いも含む。登場人物がそれぞれ何を求めているのかに注目すると、行動の理由が見えてくる。

Perversion(パーヴァージョン)
人には言いにくい欲望や好み

本作では、鳥や犬として扱ってほしいという客たちの性的な願いなどを指す言葉。コレット自身も、傷つけられるとわかっていながらレオンを求め続ける気持ちを、自分の「perversion」と呼ぶようになる。

さまざまな「変態」をもてなすナイト・エッグ(photo: Andy Henderson)

Muse(ミューズ)
創作のきっかけになる人

作家や芸術家に「この人のことを書きたい」「作品にしたい」と思わせる存在。コレットにとってのミューズはレオンだ。彼を愛して苦しんだ経験が、彼女自身の物語を書くきっかけになっていく。

英語をすべて聞き取れなくても、この三つの言葉を意識するだけで、登場人物たちの関係や物語の奥行きが見えてくるはずだ。

あの伝説の劇場が、妖艶な「娼館」に

物語の舞台となるのは、マンハッタン・チェルシー、西27丁目に誕生した新劇場「The Night Egg at the Culture Club」。

ここは、ニューヨークで約14年間にわたり上演され、日本人観光客にも人気を集めた没入型演劇「スリープ・ノー・モア」の舞台となった建物だ。

客席と劇場の様子(photo: Andy Henderson)

さらに時代をさかのぼれば、同地には1990年代のニューヨークを象徴するナイトクラブ「Twilo」が存在した。ナイトクラブから没入型演劇、そしてオフ・ブロードウェイの新劇場へ。街のエンターテインメントの記憶が幾層にも重なる場所で、日本漫画から生まれた新たな物語が幕を開けた。

そして、この劇場の楽しみは、客席に着くずっと前から始まっている。

まず入り口を抜けると現れるのが、壁一面を赤で覆われたトンネル。安野作品の妖艶な世界を象徴するような空間には、原作漫画の原画が展示されている。

劇場へと続く廊下に展示された原画の数々(photo: Nina Westervelt)

赤に包まれた通路を進みながら、舞台の原点となった漫画の世界を間近に感じられるのは、原作ファンにとってもうれしい体験だろう。

観劇前、また観劇後には多くの人が足を止める原画展(photo: Nina Westervelt)

トンネルを抜けると、今度は劇場へと続く通りのような空間が広がる。娼館をイメージした大きなシャンデリアに、作品のモチーフを取り入れた三つのフォトブース。まるでアーティスティックなナイトクラブを訪れたかのような雰囲気で、写真を撮りながら開演までの時間を楽しめる。

客席に座ればそこは…

そして、いよいよ劇場の中へ。扉を抜けた先に広がるのは、コレットたちが働く娼館「ナイト・エッグ」。

中央には円形の舞台が設けられ、それを囲むように客席が配置されている。赤を基調とした豪華な装飾に、さまざまな舞台装置。小さなライトやカクテルテーブルが備えられた座席もあり、一般的な劇場とはひと味違う、ナイトクラブのような空間が広がる。

客席の様子(photo: Andy Henderson)

この空間を手がけたのが、トニー賞を3度受賞した舞台美術家スコット・パスクだ。「ウェイトレス」「ブック・オブ・モルモン」「ミーン・ガールズ」など、数々の人気ブロードウェイ作品の舞台美術を手がけてきた世界的デザイナーが作り上げたのは、単なる背景としての舞台セットではない。客席から装飾、劇場内のバーに至るまで、物語の世界が一つの空間として作り込まれている。

円形舞台を用いた圧巻の演出や照明(photo: Andy Henderson)

円形舞台を使った立体的な演出も見どころの一つ。俳優たちが舞台を取り囲む観客のすぐ近くを行き交い、視線や表情、身体の動きまで間近に感じられる。

物語を外から眺めるというより、観客自身がナイト・エッグを訪れた客の一人になったかのような感覚を味わえるだろう。

開演前には登場人物のカクテルを

せっかく訪れるなら、開演時間よりも少し早めに劇場へ足を運ぶことをおすすめしたい。

劇場内のバーでは、作品に登場する五つの人物をイメージしたオリジナルカクテルを楽しむことができる。

渡邉琢磨が考案した作品のコラボカクテル(Illustration: Mika Furuya)

考案したのは、ニューヨークの人気バー「Martiny’s」のオーナー、渡邉琢磨。2026年には、世界的なカクテルイベント「Tales of the Cocktail」で米国最優秀バーテンダー賞、さらに「The World’s 50 Best Bars」のバーテンダーズ・バーテンダー賞を受賞した、世界的に高い評価を受けるバーテンダーだ。

そんな彼が、登場人物それぞれの個性や物語から着想を得て手がけた特別なカクテル。どの人物の一杯を選ぶか、観劇前から迷ってしまいそうだ。

コレットをイメージしたカクテル(photo: Andy Henderson / Illustration: Mika Furuya)

そして驚くことに、カクテルを提供するバーの空間まで、舞台美術を手がけたスコット・パスクによるもの。グラスを片手に過ごす時間も、作品の世界観の一部になっている。

劇場内のバー(photo: Nina Westervelt)

開演前にカクテルをくいっと一口。登場人物の物語に思いを巡らせながら、少しずつナイト・エッグの世界に浸っていく。そんな楽しみ方ができるのも、この劇場ならではだ。

終演後まで続くナイト・エッグの楽しみ

約90分の公演を楽しんだ後にも、ちょっとしたお楽しみが待っている。

実は、終演後の舞台には、まるで物語からこぼれ落ちたような小さな「紙」が残されている。舞台の縁やその周辺で見つけたら、観劇の記念に持ち帰ることができるという。

物語を「書く」ことに目覚めたコレット(photo: Andy Henderson)

そこに何が書かれているのかは、実際に劇場を訪れてからのお楽しみ。物語を見届けた後だからこそ、その一枚にも特別な意味を感じられるかもしれない。

漫画の原画を眺め、カクテルを味わい、豪華絢爛な空間に身を置き、音楽とダンスで物語を体感する。

劇場に併設されたグッズコーナー、作品内で使用されている小道具も販売されている(photo: Nina Westervelt)

かつてニューヨークのナイトライフを彩った場所に誕生した「The Night Egg at the Culture Club」。日本で生まれた漫画の世界を、観劇という枠を超えて楽しめる、新しい劇場体験がここにある。

MEMOIRS OF AMOROUS GENTLEMEN

期間
2026年10月15日(木)〜2027年1月3日(日)
場所
The Night Egg at the Culture Club
(530 W. 27th St.)
上演時間
約90分(休憩なし)
チケット
49ドル〜
公式サイト
https://www.memoirsmusical.com/