1975年、ニューヨークでの初個展を開催した後、依田寿久はその成功をもってニューヨーク永住を決意した。1987~98年までの個展は日本で開催、そのうち4回は東京の南天子画廊で行われた。南天子画廊は、日本を代表する現代美術画廊の一つとして知られている。ニューヨークのGallery MCでは個展・グループ展の双方に参加、日本およびニューヨーク地域でも数多くのグループ展に出品している。その代表例が、2007年にジャパン・ソサエティで開催された『Making a Home: Japanese Contemporary Artists in New York』展である。エリック・C・シャイナーのキュレーションによるこの展覧会には、依田寿久、妻・順子、長男・洋一朗の他、オノ・ヨーコ、篠原有司男、草間彌生、杉浦邦恵ら、ニューヨークを拠点に活動する日本人作家たちが参加した。

依田が自身の制作を追求する一方で、妻・順子(1943年徳島県生まれ)は武蔵野美術大学卒業後1969年にニューヨークへ渡った。78年には、西57丁目にあったザブリスキー・ギャラリー(彫刻家エリー・ナデルマンを紹介したことでも知られる画廊)のグループ展『New Talent』に選出された。80年には同ギャラリーで個展『Painted Paper』を開催し、その後2010年にギャラリーが閉廊するまで、ニューヨークとパリの両拠点で継続的に個展を開催した。2005年には、ジャクソン・ポロックの妻で画家のリー・クラズナーの理念に基づき、芸術家の創作活動を経済的に支援することを目的として設立された権威あるポロック=クラズナー財団助成金を受賞した。この助成金によって、故郷・徳島から愛用する高品質の和紙を大量に購入することが可能となった。
洋一朗は1972年、香川県で生まれ、生後3か月で両親とともにニューヨークへ渡った。幼い頃から『スター・ウォーズ』シリーズに魅了され、その興味はやがて古い映画や映画館そのものへと広がっていった。歴史ある建物、とりわけ往年の映画館が次々と姿を消していくことを目の当たりにするなかで、洋一朗は閉館した映画館や一般公開されていない建物内部へ足を運び、それらを題材とした絵画や映像作品を制作するようになった。芸術教育で知られるラガーディア高校を卒業後、フィラデルフィアのテンプル大学タイラースクールオブアートで学士号(BFA)、続いてクイーンズ・カレッジ芸術学部で修士号(MFA)を取得した。2010年、南天子画廊でのグループ展に出品した依田洋一朗の小品が、三鷹市美術ギャラリー学芸員の浅倉祐一朗の目に留まった。浅倉はその作品から、自身が若い頃に通った京都宝塚劇場での思い出を重ね合わせたという。この出会いをきっかけに、2012年には三鷹市美術ギャラリーで個展、同年、南天子画廊でも個展が開催された。
2016年の瀬戸内国際芸術祭の一部として女木島の古い倉庫の中に往年の42丁目の映画館を再現するインスタレーションの制作を依頼され、その内部に自身の映像作品や絵画が展示した。洋一朗は「前から自分の映画館を持ちたかった」と語っていた。この作品《Island Theatre Megi》「女木島名画座」は現在も常設展示となっており、随時一般公開されている。浅倉はニューヨークを訪れるたびに依田家のロフトを訪問し、三人の芸術家が共に暮らし創作する独特な環境に深く魅了された。そして2019年には、三鷹市美術ギャラリーで開催された展覧会『日々是アート―ニューヨーク・依田家の50年』において、ソーホーのロフトを実物大で再現した。
NowHere は2019年にウースター・ストリートに設立され、「ニューヨークを拠点に活動する日本人クリエイターを支援する」ことを理念としている。ディレクターである戸塚憲太郎も武蔵野美術大学金工学科の卒業生である。東京のファッションビル「LUMINE(ルミネ)」のアートプログラム・ディレクターを10年以上務めた経歴を持つ。洋一朗は、戸塚と親交を深め、その縁から2023年に個展『The Crossing』を開催している。

今年2月、依田家は『ニューヨーク・タイムズ』不動産欄に掲載された「壁のないソーホーのロフトで暮らす三人家族 ― 寿久、順子、そして息子・洋一朗は、マーサー・ストリートの約4,000平方フィート(約370㎡)のロフトで35年間、それぞれの創作の源泉に従って作品を生み出し続けてきた」という記事で紹介された。
記事は、このロフトを「かつての、より個性的で芸術家たちが息づいていたソーホーへと通じる思いがけない入口」と表現している。この建物は1870年にゴム製品の倉庫として建設された。周囲には改装・洗練された建物が立ち並ぶ。画廊は少なくなったが、代わりに商業ブランドの店舗が増えている。その姿は、順子が「ネズミが猫ほどの大きさだった」と振り返る、往時のソーホーの面影を今に伝えている。かつてニューヨークを代表する画廊街として栄えたソーホーの黄金時代はすでに過去のものとなった。国内外のファッションブランドが集まる巨大なショッピングモールへと変貌したが、その後も、この街は再び新たな転換期を迎えている。
依田は1990年、日本の美術館への作品売却による収入と、日本で所有していた土地を売って、55万ドルで現在のロフトを購入した。それ以前の8年間ブルックリンのパーク・スロープ地区に住んでいたため、1960年代半ばに比較的安価にロフトを取得できた「先行組」には含まれなかった。

しかし、一つの生き方を長年にわたって貫くことは容易ではない。ニューヨークを目指す若い芸術家たちの多くは、生活を維持するための仕事が次第に創作時間を奪い、本来の情熱を持ち続けることが難しくなっていく。依田家もまた、多くのニューヨークの日本人芸術家と同様に、生計を支えるための仕事を経験してきた。依田は、日本からの輸入品を扱う「Azuma」で働いた。また、家族経営のアンティークおよびインテリアショップ「Gracie」でも働いていた。順子は土曜日の日本語補修校で教鞭をとった。地下鉄でナム・ジュン・パイクの妻で映像作家の久保田成子が、生徒の宿題を猛烈な勢いで添削している姿をよく見かけたことを覚えている。その後、日系ギフトショップの店長も務めた。洋一朗は、ニュージャージー州ロングビーチ島ビーチヘイブンで舞台美術インターンを経験、クイーンズ・カレッジ卒業後は、名作・外国映画を専門に上映するFilm Forumに勤めた。さらに2002~11年まではメトロポリタン美術館で警備員として働いた。同美術館では多くの芸術家が警備員として働いていたことで知られている。

今回、NowHereで戸塚憲太郎氏は依田の未展示の作品や会期後半に展示予定の作品を地下収蔵庫で見せてくれた。そして、制作から長い年月を経ているにもかかわらず、作品の保存状態が驚くほど良いことを教えてくれた。ニューヨークの乾燥した気候が保存に有利だったのかもしれないが、それ以上に依田自身が長年にわたり作品の保管・管理に細心の注意を払い続けてきたことが大きな理由だった。
編集部註:依田寿久展『Continuum, 1967 – Today』Part 1は終了、現在Part 2を開催中。
文/中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴39年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。
















