アートのパワー 第17回 この一年を振り返って(中) アナ・メイ・ウオン(下編)

アートのパワー 第17回 この一年を振り返って(中) アナ・メイ・ウオン(下編)

 

私が東京からウェストチェスターに来た時、バービー人形は大流行で、人形が大好きだった私も欲しかった。でも、サンフランシスコ生まれ、カリフォルニア大学バークレー校卒、帰米二世であった父親に、性的過剰な体系の人形はダメだと言われた。でも、私は当時東京で流行っていたダッコちゃん(膨らませて腕に絡ませるちび黒サンボ、これは人種差別面で問題になった)を持ってきていた。クラスメートの家で遊んで家に戻り、バービーのボートゲームで勝ったらボーイフレンドのケンと高校のプロム(卒業ダンス)に行けると父に説明した時、父にそんなことの為にアメリカに連れてきたのではないと叱られた。私はバービーを持ったことがない。  

過去64年間バービーは何度も変遷をとげてきた。バービーの「お仕事シリーズ(キャリアガール)」は250種に及び、宇宙飛行士、企業のCEO、大統領候補はそれぞれ3回も務めている。1980年に初の黒人バービー、翌年には人種特定不明のオリエンタル・バービーが登場した。「オリエンタル」という不快な表現が使われていた。2016年、オバマ大統領は連邦文書で「オリエンタル」の使用を禁止する法案に署名した。アジア系アメリカ人がもっと侮辱的に感じる表現は他にも幾つもあるが、「オリンタル」は欧米中心的な世界の分け方を示す言葉以外のなにものでもない。他にもバービの有色人種(people of color)の友達シリーズがでたが、バービーはいつでも白人だ。「世界のバービー人形シリーズ(Dolls of the World Barbie Series)」 (1981~2012年)は、エグゾチックな民族衣装を着たマテル社版の国際的な人形だったが、ステレオタイプを強調しただけと見なされた。

 

The Brightest Star

アナ・メイ・ウオン・バービーは、1961年(ウオンの死後)に生まれた姪、アナ・ウオンの協力を得て制作された。姪のアナは人形を全面的に祝福している。この人形は、太平洋諸島系アメリカ人歴史月間に合わせて5月に発売されたが、その1週間前にダウン症バービーが発売されたことが、私は気になって仕方がない。かつて欧米ではダウン症の人をモンゴロイドと呼んでいた。オリエンタルよりもアジア人に対する蔑称で、1860年代にドイツ人の医師がつけた東洋人を見下す表現である。  

今年6月には、アナ・メイ・ウオンの生涯を描いた物語『The Brightest Star』(著者ゲール・ツキヤマ)が出版された。アジア系俳優として独自の道を歩んだウオンの果敢な物語が淡々と描かれている。そして8月にはユンテ・ホアン(Yunte Huang;カリフォルニア大学サンタバーバラ校英文学教授)の『Daughter of the Dragon』が出版され、来年にはケイティ・ジー・ソールズベリー(Katie Gee Salisbury)の『Not Your China Doll』が出版される予定だ。実写映画化された『バービー』は今年の夏の大ヒット映画となった。監督はグレタ・ガーウィグ(1983年生まれ)。監督デビュー作『レディ・バード(Lady Bird」』(2017年)は、ミレニアル世代とZ世代の青春映画の最高傑作とされ、41の賞にノミネートされ、13の賞を受賞した。バービーにまた新しい時代と解釈がきたようだ。

この続きは9月27日(水)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 アートのパワーの全連載はこちらでお読みいただけます

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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